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主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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録画してたのを見返しながら
「なんかこれどっかで見たと思ったら、てめぇの動き、家康の虎牙玄天のパクリじゃねーの」
「パクリとか言うなよただ殴り入れただけだろーがぁ!」
「あまりにもな劣化版だったから気づかなかったぜ。家康と較べれば軽いのなんのって」
「ぁあ? 「かはっ」とか言って涎だらだら出してた奴はどこのどいつだよ奥州の竜さんよぉ」
「(相変わらず独眼竜の挑発の仕方は鮮やかだなぁ)」
「どーせ武器取られたときのために家康から見よう見まねで倣ってたんじゃねーのかよ。おめーアニメだとやたら武器弾かれるしな。前田の風来坊とかと一戦やったときもよ・・・。いっそ紐で武器と手ぇ結んでた方がいいんじゃねーの」
「ぐっ、ううう・・・・・・家康ッ、何か言ってくれよ!」
「・・・・・・なんか?」
「ぶはっ! 家康にまで見放されてんじゃねーかざまぁねーな!」
「家康お前なぁぁぁ!」
「いやっ、違うっ! 今のは何を言えばいいんだって意味で言っただけで、おいっやめ、うわははははは!!」

 物凄いくすぐったがりの人って長時間擽り続けると涎垂らして痙攣始めるからこれはマジで人殺せるような気がしてくる。くすぐられて涎垂らしてびくびく震えながら「ひぎっ、ぃっ、もぉ、やら、ひっ、しぬ、からぁ・・・」とか言う家康うううううううどんがらがっしゃーん

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「ワシの命は国のもの、ワシの気持ちは民のものだ」
「それでお前に結局何が残った? お前の持つものは一体なんだ?」
「ワシの思いは忠勝が守ってくれればいい、忠勝が守ってくれるから、それでいい。ワシはお前が哀れでならぬ」
「本多忠勝も所詮は人だ! 人ひとりの守れるものなどタカが知れているわ! 本多がどれほど優秀であろうが貴様のために死のうが人は人ひとりをどうやっても完璧には守れないのだ! 私が! そうであったように!」
「忠勝はよくやってくれる。守りきれぬならばワシが耐えればいいだけだ。忠勝がワシを守れば、ワシが民を守ればいい。それだけだ」
「貴様は武器を捨てて結局なにが守れたというのだ? ぼろぼろとその手から命や絆を零しておいて、結局それをつなぎとめられたのは何もない! 貴様の友も! 統べての命は貴様に寄りかかるだけだ!」
「単純なお前らしくないな三成。武器を持っていては人を抱き上げることができないだろう。子供の頭を撫でれぬだろう。片手が不自由であるならば、それを離して人を引き寄せるだけだ」
「それで抱えきれぬほどの生き物を守っていつお前の腕は砕ける? くだらぬ命だ。秀吉様の足元にも及ばぬ。人は己を守ってこそ人として在れると言ったのは、お前ではなかったか」
「守る己は既に民に預けている。三成、ワシは問答がしたいわけではない。お前だってそうだろう。首がなければさしものワシも立ってはおれぬ。お前に渡すわけにはいかない」

 立ってはおれぬ。立っては折れぬ。ぬってずっと見てるとなんて読むのか分からなくなってくるひらがなナンバー1だと思う今日この頃。

 赤兄貴のイメージ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B11496 の歌。
 というかキャラのイメージというよりはストーリーのイメージというか。

 そんなわけで親家です。といっても赤ルート踏襲というわけではなくて、家康が勝つパターン。死ぬかどうかは、わからない。
 昨日寝る前に家康の特徴というか家康らしさというかその特筆すべき性格や生き方について考えてみた結果、とりあえず一個断固としてあるものを思いつきました。
 といってもそれは私目線での勝手な家康像に基づくものなので、他の人から見ていやそれはねーよwwwみたいなことでもまぁキャラクタを見る目は十人十色なのでお許し願いたいです。まぁあれです。うちの子設定って奴です。

 で、本題。家康は基本的に「優しい・寛大・自己犠牲・お節介・絆厨・エトセトラエトセトラ」とあるわけですが、私はまず家康の「公私の異常なまでの切り離し性」を推奨したいわけです。というか、します。

 そもそも家康の矛盾点として多く指摘されがちなのは、人と人との繋がりをよく説いておきながら友人であった三成との縁を一方的に断ち切ったり秀吉を殺したりなんだり、「おめーそれでよく人と繋がってるって豪語できんなぁおい」みたいなことなんですが、家康は全体を見るからに「三成も秀吉も殺したかった」ようには見えないわけですよ。三成を殺さないと天下が平和になれないと思う反面、同時に三成が更生(というのも変な話ですが)(自分のことを考えて復讐をやめ静かに暮らすとか)するという願いを勝手に断ち切らなかったわけです。「三成を追い詰めたいわけではない」けど「だが、勝つ」という言葉を踏まえて、最終的に私が至った家康さんは詰まる所、「一個人としての徳川家康(地位・名誉関係のない人間)と、徳川軍総大将であり東軍総大将である徳川家康」の思考や感情をまったく別のものとして用意している、ということです。

 まぁ三成と較べると物凄く分かりやすいんですが、三成は明らかに公私混同してますよね。自分の復讐のために豊臣軍を使ってる(使う気が自分でなくとも)(豊臣軍は全て秀吉のために使われるべきなので復讐もやるべきという方向になってるものと思われる)わけですし。
 その反面、家康は「豊臣軍で世話になった人、親しくなった人、友人、知人を含め全てを守りたい助けたい」という私事と、「天下太平のために豊臣を下す」ということを別ものにとってるわけです。
 そして私事<<<<<<<<(越えられない壁)<<<公事としてとってるわけです。
 平和のためなら友人でも知人でも親友でも敵に回せるほど「個としての徳川家康」に関心がない「東軍総大将徳川家康」。

 軍の総大将ならそれは当たり前だろ!? と思われるんですが、でもBASARAで公私混同しない人物って、居ないんですよね。毛利ぐらいじゃないですか?
 伊達は勿論国のことを考えてますけど、戦をパーティと称して、しかも石田を殺す時には「理由はいらねぇ。アンタを殺す」と断言しています。戦に明らかに私事が入ってます。幸村も「一人の武人として、家康に勝つ」みたいなことを言っていますし、それは他のキャラにしても同じことです。
 結局、BASARAの総大将はだいたい、「自分の目標」をメインに動いているわけで、つまりそこには確実に私事が入るわけですよ。でも家康の場合、その「自分の目標」が既に「周りの人々の希望」なわけで、そこには「自分自身の希望」が含まれていないわけです。いや、天下太平が家康の望みだということが嘘というわけではなく、結局その希望と自分の願望(友人を守りたい等自分の私事)が重なってないってことです。

 公事にのみ生きる「徳川家康」にとって、「個人の徳川家康にとっての友人」は結局「一人の民」にしか相当しないわけです。家康がどれほど親友だと思っていても、結局戦をする家康にとっては一兵、一農民となんら変わりのない生き物に値するわけです。
 公事の「徳川家康」は大将を「面白い男」だの「素晴らしい武人」だの評価はしますが、そこに友人とかそういう観念を突っ込んでこないわけです。

 じゃあ元親は? あいつに会った時戦場だけど凄く反応してたよね? となるわけですが、やっぱりあれは元親が特別仲がよかった、と割り切るしかないでしょう。多分戦場で会ったとき、勿論家康は「元親じゃないか!」と凄くテンション上がってましたが、元親が己を恨んでいて、そして己を殺す気である、と理解した時点で、「相対するは西海の鬼、長曾我部元親殿とお見受けする!!」とか私事を切って捨ててます。家康にとって元親はその程度だったのかよ、ということではなく、ここは単純に、家康の公事を重視するというやり方が尋常ではないと判断した方が良さそうです。

 三成を殺した後、元親に殺される前、結局「戦が終わった」や「死んでしまう」ということで、公事を優先する必要がなくなった家康が、今までの切り捨てたものを拾い集めるようにただ自分の感情を吐露したあの家康は、あれこそが「一個人としての徳川家康」だったんだな、と思いたいです。殺したくなかったし、殺されたくなかったし、友人を守ってあげたかった家康。

 詰まる所家康は毛利みたいなもんなの? という話なのですが、それもまた違うと思います。家康は私事を切って捨てて、己を守ってましたが、毛利はそもそも、守る己がないわけじゃないですか。毛利は公私混同する以前に、その私事が無い、と私は思ってます。
 いや、結局毛利も人間なので、私事がないなんてことはない、ということがアニキの緑ルートのマジ切れした毛利を見れば分かるんですが、あれはどっちかというと、毛利も毛利でそんな自分に気づいてなかったんじゃないかな、と思います。家康は自分のことを無理やり捨て切って前に進もうとしていたけど、毛利はそもそもそんな自分にすら目が行っていなかったんじゃないかと。そうでないとあんな外道みたいになれない・・・と思いたいです。いや、むしろ毛利は「自分自身に興味がない」んじゃないかなーと、今思いました。いやまぁ、とりあえず家康ですよ。

 まぁそんなわけで、私の中での家康の家康像はこんな感じでした。いや他にも色々あるんでしょうが、根幹はここかなーと。「人である家康」と「人ではない家康」というのが簡単かもしれませんね。総大将である「人でない家康」が、誰にも理解されずまた人を理解することもない、みたいなのは多分、その尋常じゃない「人らしさの無さ」が意味するものなら、「人である家康」が守られたらいいなー、とそういう希望でした。
 混合会話というか。戯言×BASARAです。ちょっとしたお遊びで。会話メイン。言葉責め?

 家康と三成がある程度仲が良かったこと・元親赤ルート・緑ルート踏襲。
 今度は元親と会話させるかもしれませんが、今回は家康と兎吊木。
 かなり昔にやってみた兎吊木とシモンの会話みたいなもんです。

 ※私は三成は好きです。
 まぁ、つまりそういうことです。「人のように羨んでいいぢゃないか」は私の家康像です。全然太陽じゃねーじゃん!! とツッコミ入れられそうですが太陽の中にある程度のどろどろした熱が入っててもいいじゃないですか・・・遠くから見たら恵をくれる太陽ですが、宇宙的な意味で近くで見ると「なん・・・これ・・・怖・・・」みたいなタイプでもいいじゃないですか。プロミネンスとか業火すぎて怖い。

 本当は小さい竹千代が戦場でもっと色々鬱憤(家康の)を吐きまくるのを予定してましたがやめました。たった二人死んだだけで、神さまが死んだだけで(笑)とか。三成が失ったものを改めて考えると、戦国の世では小さすぎる気がします。そりゃ3人きりの世界で二人いなくなったらそりゃ辛いとは思いますが、でも伊達とか三成と較べたらもっと酷い気がしますがどうなんでしょうね。伊達にとっちゃ「不幸自慢とかマジでどうでもいい」って感じなんでしょうが大抵の武将がしぶとく強いBASARAの世界で三成はまさに硝子細工並の繊細さに思えます。
 あの繊細さがBASARAの中ではトップレベルの頑丈さである(精神的な意味で)半兵衛に守られてきた結果だと思うと、本当に豊臣は育成に力入れてなかったんだなーと思いますね。力=生まれもってのもの、っていう見方のせいかもしれませんが、成長する力っていうのは多分、豊臣は駄目だったんでしょうね。半兵衛がなんといっても時間がありませんでしたから。半兵衛の病気がなかったら、本当に豊臣は世界掌握も夢じゃなかったんでしょうけど。

 小さい頃三成は半兵衛に甘やかされて勉強やら武芸やら叩き込まれて城で愛されて成長している最中、家康は戦のど真ん中で毎日生きるか死ぬかの瀬戸際を渡っていたかと思うとなんかもう言葉が出てきません。
「ワシが人を羨まないとでも思ったか?」を深読みしてこうなりました。それでもやっぱり 羨ましい→妬ましい→憎いとか発展しないのが太陽たる所以というかなんというか。発展したのが刑部。
 
 家康が許されたのは結局「羨ましい」までで、「ああなりたい」とか「こうなりたい」とかそう言う風に発展するのも、多分駄目だったんでしょうね。家康が家康をやめたら、徳川が路頭に迷ってしまうし。ひぃぃ瀬戸際。

 瀬戸際を見て瀬戸内と空目したらだいぶ危ない。
OB1285247665415.jpgにゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃどのにゃらびでにゃんにゃくいにゃにゃくにゃにゃはんにゃにゃだいにゃんにゃくにゃらべてにゃがにゃがめ!って言う家康を妄想してにやにやする程度の遊び。

多分三成はにゃにゃめの時点で言えなくておのれいえやすうううなにを言わせるうううってなると思う。幸村はカンペを読んでる時点でどこまで言ったかわからなくて最初に戻るね・・・。
 だと思われる会話。

 三成が生んだ憎悪。
 三成が膿んだ憎悪。
 言葉遊び楽しい。

*短文を複数個
*後でちゃんと形にするかもしれない
*メモ程度なのでだいぶ省いている
*三成が家康を評価しかけている
*家康が純粋じゃない

「おお、風魔ここにいたのか。すまないが最上殿にこれを渡してきてくれないか」
「・・・・・・・・・・・・」
「よろしく頼んだぞ」

「・・・・・・どうして家康さんは宵闇の羽の方にあんなにも簡単に触れるんですかね・・・」
「仲間だからじゃねぇのか」
「私には何故か触らせてくれないんです!あっもしかして恥ずかしいんですかね!?」
「いや、おそらく徳川が光属性だからだろう」
「おいやめろゲームシステムを引き合いに出すな」

 そういや光属性ってガードをはじく?無効化する?能力があったなーと思いまして。
 まぁ本当にガード高い風魔に気軽に触れる権現はほんと陥落能力高すぎる。風魔とか忠勝とか無口な人と家康のコンビは燃える。いやなんでも燃えるんですけど。

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