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主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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 まぁ、つまりそういうことです。「人のように羨んでいいぢゃないか」は私の家康像です。全然太陽じゃねーじゃん!! とツッコミ入れられそうですが太陽の中にある程度のどろどろした熱が入っててもいいじゃないですか・・・遠くから見たら恵をくれる太陽ですが、宇宙的な意味で近くで見ると「なん・・・これ・・・怖・・・」みたいなタイプでもいいじゃないですか。プロミネンスとか業火すぎて怖い。

 本当は小さい竹千代が戦場でもっと色々鬱憤(家康の)を吐きまくるのを予定してましたがやめました。たった二人死んだだけで、神さまが死んだだけで(笑)とか。三成が失ったものを改めて考えると、戦国の世では小さすぎる気がします。そりゃ3人きりの世界で二人いなくなったらそりゃ辛いとは思いますが、でも伊達とか三成と較べたらもっと酷い気がしますがどうなんでしょうね。伊達にとっちゃ「不幸自慢とかマジでどうでもいい」って感じなんでしょうが大抵の武将がしぶとく強いBASARAの世界で三成はまさに硝子細工並の繊細さに思えます。
 あの繊細さがBASARAの中ではトップレベルの頑丈さである(精神的な意味で)半兵衛に守られてきた結果だと思うと、本当に豊臣は育成に力入れてなかったんだなーと思いますね。力=生まれもってのもの、っていう見方のせいかもしれませんが、成長する力っていうのは多分、豊臣は駄目だったんでしょうね。半兵衛がなんといっても時間がありませんでしたから。半兵衛の病気がなかったら、本当に豊臣は世界掌握も夢じゃなかったんでしょうけど。

 小さい頃三成は半兵衛に甘やかされて勉強やら武芸やら叩き込まれて城で愛されて成長している最中、家康は戦のど真ん中で毎日生きるか死ぬかの瀬戸際を渡っていたかと思うとなんかもう言葉が出てきません。
「ワシが人を羨まないとでも思ったか?」を深読みしてこうなりました。それでもやっぱり 羨ましい→妬ましい→憎いとか発展しないのが太陽たる所以というかなんというか。発展したのが刑部。
 
 家康が許されたのは結局「羨ましい」までで、「ああなりたい」とか「こうなりたい」とかそう言う風に発展するのも、多分駄目だったんでしょうね。家康が家康をやめたら、徳川が路頭に迷ってしまうし。ひぃぃ瀬戸際。

 瀬戸際を見て瀬戸内と空目したらだいぶ危ない。
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