主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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指摘を受けたので考察テストです。とりあえず前記しておいた点に注意してぽろぽろ考えたいと思います。
今回のターゲットは金吾です。以下、折りたたみでどうぞ。
*注意*
・金吾が「良い子」という表現をしません。
・金吾中心に、天海・家康・三成(刑部・毛利)辺り関係想像表現があります。
・史実関係は考慮していません。
・主観です。
・西軍のことを酷く言う表現がありますので不快に思われる方にはおすすめできません。
・でもなんだかんだでやっぱり家康メインになりました。
前提 : 私は金吾が怖いです。
今回のターゲットは金吾です。以下、折りたたみでどうぞ。
*注意*
・金吾が「良い子」という表現をしません。
・金吾中心に、天海・家康・三成(刑部・毛利)辺り関係想像表現があります。
・史実関係は考慮していません。
・主観です。
・西軍のことを酷く言う表現がありますので不快に思われる方にはおすすめできません。
・でもなんだかんだでやっぱり家康メインになりました。
前提 : 私は金吾が怖いです。
金吾が私の中でどういう立場かというと、「弱者代表」です。
というか、一般人だと思います。「なんで僕こんな家に生まれちゃったんだろう、なんで戦しなきゃいけないんだろう。いやだなぁ怖いなぁ、農家に生まれて野菜作って鍋食べて一生を過ごしたいなぁ」っていうイメージです。
印象だけでいうなら、「BASARA3の中で一番自分に素直」という感じ。自分に忠実ではなく、自分の欲望むき出しというより、自分に素直。自分のやりたいことにしか興味が無い、現代っ子みたいなイメージです。
だから、私の印象だけの金吾は、東軍に入って三成が死んだら「やったぁ三成君が死んだ! もうぶたれないで済むんだ!ゆっくり鍋も食べれる!やったぁ!」って両手を上げて飛び跳ねて喜ぶような男です。刑部が死んでも喜ぶし、毛利が死んでも喜びます。鍋食って祝杯です。
誰かと鍋は囲まなくても金吾はいいんです。「一人で食べる鍋って美味しいよね」と公言してますし。
家康が民衆のために動く人で、三成が秀吉のために動く人なら、金吾は自分のためにしか動かない人だと思います。
金吾にとっての人の分類は、「怖い人」と「優しい人」しか居ないと思います。西軍も自分の軍の人も、自分を邪魔者扱いする酷い人で、家康や天海は自分を甘やかしてくれるいい人。
ここでちょっと特筆したい点が一つ。
基本的な場合、「自分を甘やかすだけの人」は、あまり良い捉え方をしないと思うんです。何故なら甘やかされ続けたら「自分が駄目になる」って、多分自分で思いますよね?「このままじゃいけない」「このまま周りの人に甘やかされ続けたらいつまでも一人立ちできない」とか。でも、金吾はそういうこと全然考えていないように思えます。天海は狙いを持った上で金吾を甘やかしたり、突き放したりして微妙な距離を保たせています。が。
ここで相変わらずの家康考察。家康の駄目なところといえば、これです。「人を甘やかす」。
家康は金吾を叱咤しません。金吾に頑張れ、も、自分で考えろ、とも言いません。関ヶ原のステージでも、彼は「何を迷っている~」とか言って、金吾が自分の下に逃げ込むのを、「よく決意してくれた」と激励するだけです。傘下を守るのはまぁ、分かります。同盟ですから。でも金吾はただ長いものには巻かれろ、や寄らば大樹の陰のように、家康の元に安穏を求めて逃げ込むわけです。決意させるだけです。こっちに来たら、ただ守る。
無差別に人を守る。陽光のように。
家康の怖ろしいところは、そんな「判断のできない無能な君主」扱いされる金吾と、「元同僚で友人でもあった」三成を、同列に扱えるという点です。命は命。価値は価値。命に値段はつけられない。
家康にとって金吾の命と、三成の命は天秤にかけられないものなんです。どちらも大切だからといえば聞こえはいいかもしれませんが、言い換えればどちらも大切ではないともいえます。優先順位がつけれないというのはこういうことです。
三成じゃなくとも同じことです。どれほど愚鈍な人間でも、家康は見捨てないんです。人間の価値は等しく同じとでもいうように。
家康は「金吾の無能さ」がわかっていないのではないか、とも思えます。家康は誰も笑いません。誰も見下しません。失敗ばかりの人を見ても、優秀な人を見ても、どちらが大切かといえばそこに違いを見出せないんではないでしょうか? 「弱者」がわからないのではないか? とそう思うんです。
神は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。実際にはこんなことありませんよね。どこにも階級があってどこにも順位がある。でも家康はそれが分かってないのではないかと思えるぐらい、人に対して平等です。それがまだ、家康が神の位置にいるのなら「そりゃ家康から見たらねぇ」と納得もできようものなのです。 が。
家康は自分を神と見てません。自分もまた、人です。つまり自分の命の価値は、金吾と同じ。三成と同じ。刑部と同じ、一般兵と同じわけです。無論、責任はわかります。人の命を背負う立場だということは理解しているはずです。ですが、それは家康の生まれや人生が作った差であり、家康にとって家康の命そのものは、何も誰とも変わらないものなのではないかと思います。
人間って基本的に人を見下さないと生きていけない、と誰かが言っていた気もしますが、まぁそれは確かに分かります。じゃあ家康は誰も見下さないの?本当に?でも目の前で失敗ばかりする人は、どうやって弁明するの?とこうなる場合。
それは努力が足りないとか、頑張ればできるとか、家康の「才能を無駄にするな」という、あれです。
金吾も頑張れば何でもできる、とでも考えているんじゃないでしょうか?誰もが平等に何かができると思っているのではないでしょうか? と。まぁ私もそれを完璧に否定はしませんけど。ねぇ。ねぇ・・・。
とまぁ仮説というか私の妄想の結果なんですが、実際こんな人がいたらおっそろしいですよね。この。無言のプレッシャー。期待されてる感。
そのくせに、何もできなくても責められない。甘やかされる。その上何でもやってくれる。
3日で駄目人間になる自信がありますね。
なんか迷走する結果になりますが、まぁ、何が言いたかったかと言うと、金吾を武田道場に突っ込もうぜというそういう話でした。まる。
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