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主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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 家康は詰まる所人を数字でしか見れないのかなーと思う。一人より二人、二人より三人、三人より四人・・・五十人より百人みたいに。そこに一切の感情はなく、ただ人間は人間、親友も其処行く村娘も同レベル。神さまは人の上に人を作らず、また人の下に人を作らず。
 多分元親一人の命と三人のまったく見ず知らずの親子、どちらの命をとりますか?って言われたら、多分元親を見捨てるね。それでどれだけの多くの人に憎まれようが恨まれようが、家康にとっちゃそんな感情の類は問題じゃないんだから。苦しくてもいつか人は絶対癒える。人のことを忘れるか、それとも記憶を踏み越えてか、結局新しい人生を歩めるとそう考えてる。それはぶっちゃけ間違っていないけれど、正論じゃない。慶次辺りは「そんなのおかしいよ!」って言うかもしれないけど、それそもそも3の慶次だよね? ねねのことを忘れてか踏み越えてか、孫市に恋してるんだよね? みたいな。いや別に慶次がどうだのこうだのという話ではなく、権現の話なわけですよ。
 家康はそうやって結局誰がどう言おうが失ったものがどうやっても返らないことを本当に理解できちゃってるから、記憶はいつか薄れるものだから、幸せがあれば苦しいことなんてどうでもよくなっちゃう人間の考えが分かるからこそ、あんな風になったのかなーと思います。

 家康は本当に人間の生き方が分かっちゃってるから、本当に苦しくて辛くてどうしようもない人は、死んでしまうことが分かってるんだと思います。だから三成が死を選ばなかった時点で、三成はきっと秀吉の死を乗り越えているって思ってるんだと思います。いや分かりませんけど。三成がどうして生きてるのかってその理由が多分復讐のことしか頭にないから、たぶん自分が死んだらあいつも死ぬのかな、でも刑部もいるし、元親も三成についたし、島津もいるし、もしかして、もしかして、三成も復讐を乗り越えて幸せに生きれるんじゃないのかな、って期待してるんじゃないでしょうか。
 もしも、もしも三成が復讐を捨てて、刑部も不幸を望まなくなって、日の本を平和にするって西軍皆が団結したら、家康は「秀吉殿を殺してすまなかった。日の本を平和に導いてくれ」とか言い出して、三成に首斬られに行くんじゃないかしら? いや、これは西軍の方が人脈あった場合ね・・・。

 結局3の中で1番自分の命を蔑ろにしてるのって・・・・・・まさかね!みたいなことを考えついてしまってとても悲しくなりましたとさ、という話でした。
 ただ家康の信念やら決意っていうのは物凄く強くて強固で頑丈だとは思いますが、それは家康とは別の違うところに置いてある、自意識を持つ決意というイメージでした。家康と、家康の決意は別物。それを誰かに預けられるぐらい、家康本人には何もない。人の希望を一身に受け続ける神様みたいな形を持たない象徴のようなものだったら、じゃあ家康は結局どこにいるのかしら? という話でした。三成が追い求めた家康は、結局何もない、ただの優しい青年なんじゃないかしら?

 まぁ何が言いたいかっていうと三成はいつでもいつまでも偶像崇拝なのね。という話。
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