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折りたたみで、七花と家康についてなんか・・・考えたけどよくわからなくなった。
七花が「完了形変体刀・虚刀鑢」として「完了」したのは、「とがめ(持ち主)が死んだことによってぶち切れた」からではなく、「持ち主を持たない自立型の誰にも左右されない刀」として「完了してる」ってことなのかな? と今の今になって考えてみる。
だからやっぱり七花が「刀として」完了、四季崎の刀として完了するために、あそこでとがめが死ぬってのはやっぱり決まっていたことで、絶対にそうじゃないといけなかったのかな、と思う。狐さんの言うバックノズルって奴かもしれない。
友人が刀語のアニメだけを途中から(多分7月過ぎ)見初めて、とがめが可愛い可愛いと言っていたのだけれど、とがめが死んじゃったところで「どうしてああなるの!」とショックを受けていた。私は勿論西尾信者だし、原作を読んでいたし、(アニメを見るより前から)読んでた時はショックを受けたって言えば受けたけれど、でもとがめが言っていた「このまま生きていたら七花を後で殺す予定だった」「今死ねて幸せだ」「七花を殺さずに済んで」の台詞を見て、私は死んだことよりも「ああ、よかったねぇとがめ」とさえ思っていた。もちろんとがめが死んだことは悲しかったし、死んだというところを見て、数分は「はぁ?」って固まっていた記憶もある。
でも物語的には「これが最善だったんだ」と普通に受け入れていたと思う。それはもちろん私がとがめより七花の方が好きだったからとかそういう理由もあったんだろうけれど、でもやっぱり、例えるなら出夢くんが死んだときみたいな気分だったんだと思う。
理澄ちゃんが死んだ時点で出夢は死ぬしかなかったんだよ、って狐さんだったかいーちゃんだったかが言ったとき、「ああ、確かになぁ」と思ってた。
あの時はまだ出夢くんの方が好きだったと思う。真心を少なからず憎んでたと思う。いや、真心は憎んでなかったけど、でも、少なくとも好きじゃなかった。後で平然とやってきた真心に、「反省の色もねーんかい!」と思ったのは、多分あった。
話を戻して、そのとがめが死んでショックを受けた友人に、私は「でもあのまま生きていたらとがめは七花を殺していたんだよ、そんな地獄みたいな人生を、とがめは生きずに済んだんじゃない?」と思ったことを言ってみた。そうしたら友人は「あんなの嘘だ。幸せになるための道があったに決まってる。あのまま自分が死んだら七花が可哀相だから、とがめが嘘をついたんだ」と言っていた。私はそれを聞いて「確かになぁ」とは思った。とがめは今までずっと嘘をついてきたって暴露してたんだし、もしもすべてが演技だとしたら、演技だとして、死ぬ間際に演技をしない理由は何も無いわけだし。
でもそれを今考えてみると、まぁ確かにとがめと七花は幸せに暮らす道が、あったかもしれない。(正直なところあまり信じてないけど)あったかもしれないけど、でもそれは七花は、虚刀・鑢としては完成しなかったよなーと思う。これは確実に。
刀語は刀を集める物語で、復讐の物語で、七花の成長物語だったと思う。でも復讐物語のオチは、既に輪廻が言っちゃってたし、(目標だって捨てる)タイトルである「刀語」に則するのなら、勿論最後は七花が刀として完了しなきゃいけなかったんだと、思う。
だとするのなら10月で輪廻の言う言葉を受け入れられないとがめが死ぬのはもうあの時点で見えちゃっているようなものだし、家族愛のよく出る西尾の話なんだから、とがめが七花を許すわけがない。
許せるわけがない。
話が変わるけど家康さん。あの人は完成しているというよりは完了している人だな、と思う。終わってると思う。何があろうとこれから変わる気配が無い。揺るぐ様子が無い。曲がると思えない。折れると感じない。
完璧というわけではなくて「徳川家康」として完了しちゃっているというか。
だとするなら元親に、ただ殺された家康はそれこそ終わってると思う。変わらないし揺るがないし曲がらないし折れない。仁王立ちして受け止めるだけで、刺されて死ぬならそれでお仕舞いな感じがする。
自己完結してる。
誰にも制約されない。自分だけの制約を自分にかけていて、終わるのは自分で決める、みたいな・・・。
よくわからなくなった。