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主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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 と、姉の友人にBASARA3やってたら言われました。勿論権現です。と言っても彼女は三成も怖いよ!と言っている方で、かつBASARAはあまり興味が無い?(一応キャラは知っている・ストーリーもだいたい把握している?)ような方で、忠勝は好きらしいです。風魔を二人でプレイして(分身した風魔のようだった)謙信に会ってきました。あとお市可愛いなーとほのぼのしたり。

 石田の「貴様が私に何か言えた義理かぁぁ!!」という台詞に「もっともだwwww」と笑ってらしたのを聞いて、ふと、家康ってもしかして三成並みに自分の好き勝手にやってるんじゃない?と考えました。
 いやいや家康のどこに自分があるんだよ・・・と今まで思ってたんですが、そもそも「自分関係のこと」と、「周りのこと」を天秤にかけて「周りのこと」を優先することを決めたのは、それこそ自分自身じゃん、と当たり前なことに気付きました。まぁこれ言ったら公私混同とかその言葉自体が関係無くなっちゃいますけども。
 でも、あのBASARAの世界観で絆を掲げることだって、三成との友情よりも自分のために動いてくれる部下の希望を取ったのだって、全部家康の選択だったじゃないか・・・。
 家康は他人のことを慮る男だけど、でも他人の意見には左右されない驚くほど強固な自分が存在するんだから、他人への同情とか哀れみで「平和な天下」を手に入れることを望んだわけじゃなくて、弱い自分にずっとついてきて、守ってくれた三河武士、自分の作る平和な天下を信じて、必死で生きてきた国の人々のために恩返しがしたいと思って「平和な天下」を皆に与えたいって思ったのがそもそもの始まりなんじゃないのか?と思って。

 自分の意思で、三成を切り捨てたってことを、三成の友情よりも自国を守ることを優先したってことを、「国に縛られた憐れな殿様」って見るよりも、ただひたすらに恩義に報いたいと思う、プライドの高い国の主って見た方が、なんだか家康っぽいのかな、と思ってみたり。
 そう思うと家康は確かに三成とそっくりなぐらい、自分の欲望に忠実で我侭だなぁ、と思う。その欲望や我侭が人のためになるかどうかの違いってだけで、確かにそこに悪とか善とかの違いなんて、全然無いと思った。

 三成は自分のために人を殺すだけで、家康は自分のために人を生かすだけだった。そこでその殺す対象と生かす対象が違うだけで、ただ何も変わらないんじゃないの、と思ったとさ。
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