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主観的な内容ばかりなので閲覧注意です。どうでもいいことも多く書いてます。
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兎吊木は幸せな奴なんだよなーとふと思った。もしかして戯言中1番幸せな奴なんじゃなかろうか。他のチームメンバーが出てないから、1番といえるかどうかはまぁ怪しいけれども、でも兎吊木は凄い幸せものだよ。多分凶獣よりは少なくとも幸福だと思う。
一生のうちで死線に眼を止めてもらえたし。玩具として使ってもらえたし。というか兎吊木の人生が幸せかどうかはわからないけれど、とにかく兎吊木の思考回路が幸せに生きることに最も適してたっていうか。
なんたって捨てられるのすら幸福に思えるんだから、もう兎吊木が不幸になる方法なんて何もないんじゃなかろうか。死線が死んだことだって、死線が幸せに死ねたら兎吊木は万々歳な訳だし。そう考えると兎吊木は最も大切な人にまったく私情を挟まない男でほんと気持ちが悪いですね。チームは本当に宗教というか病気というか。神さまにだってこんなことしないよ・・・。そもそも宗教は神さまを崇め讃えるだけじゃなくて、神さまを崇め讃えることによって自分を救おうとするものなのに、チームはそうじゃないからね。死線の幸せのためだけが生きがいなんだよね。そう考えるとやっぱり病気に近い気がする。
兎吊木の、というかチームの変なところは「死線のため」じゃなくて「死線の幸せのため」って点だと想う。死線が幸せであれば死線が死のうが生きようがなんだって構わないという点が、変。いや理論的にはおかしくはないんだけれど、それは多分死線が最初から生まれてくる場所を間違えた忌み子だったっていうのが大きく関わると想う。多分「死線のため」だったら迅速に的確に殺してやることこそが1番いいことだったんじゃないんだろうか。だって間違えてるんだもの。でもそうじゃなくて、いーちゃんみたいに好きな人を見つけてそれなりに面白いことも理解できる「死線のため」じゃなくてその「死線の幸せのため」にしか生きられないんじゃないの。だって殺したら好きな人がいなくなっちゃくからね・・・。でもそうなるとやっぱり宗教にも当てはまる気もする。「死線の幸せのため」っていってもそれは巡り巡って自分の幸福に直結するんじゃないの・・・。

話がどうにも拗れるけど結局死線が死のうが生きようが兎吊木の知る中での死線が幸せそうに笑っていてくれれば兎吊木はなんだってできるし、死線に何されようが誰になにやられようが死線が幸せならそれで幸せな兎吊木は誰も兎吊木を不幸にできないっていう話でした。

アニバサ最終回ざわ・・・ざわ・・・ 三期はあるのか映画化はあるのか・・・いえやすうううう
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